神道・神社コラム

苦しみを避けて楽しみたい

苦しみを避けて楽しみたい

多くの占い師が良く使う得意なセリフです。

本当にそんな事が出来るのでしょうか?

では、聞きます。

成功と失敗ではどちらが人は成功しますか?

また、成功と失敗ではどちらが人の痛みを理解出来るでしょうか?

人の痛みを理解している人と、そうでない人とでは、どちらが豊かな心を手に入れられますでしょうか?

多くの人がこの【苦しみを避けて楽に生きる】と言う真の意味を誤解しています。

生きていれば苦しい事、悲しい事、悔しい事いろんな事が起こります。

それが現実です。

目が覚め、太陽が昇り、太陽が沈み眠るように、誰にでも同じ出来事は起こるのです。

その出来事をどう受け止め、どう解決するのか?

人は苦しい出来事が起きたら、それを問題だと言います。

そして、問題に意識を奪われ、問題を起こしたその人を攻撃しようとします。

さぁ、これでも本当に苦しみを避けて楽しむ事が出来るのでしょうか?

それは出来ません。

そもそも、なぜ問題が起きるのか?

問題の原因は常に一歩手前にあると言います。

その一歩手前とは【課題】の事です。

問題を事前に理解していたら、その問題が起きないように取り組む事が出来ます。

その事を課題と呼びます。

つまり、課題に取り組むことこそが問題という出来事をなくす事に繋がるのです。

問題は悪。

課題は善。

従って課題に取り組まず問題に意識を奪われ、問題探しと犯人探しをしている人、その姿こそが穢れです。

会社や組織を良くしようと問題を見つけ指摘する人がいます。

しかし、その姿こそが問題なのです。

本当の問題は善に心を留める事なく、悪に意識を支配され、課題に取り組まなかったその人です。

苦しみを避けて楽しみたいの本当の意味は、問題に意識を奪われず課題に取り組む事。

本当に強い人間とは善に心を留める人間のことを言います。

夢や理想や志は全ては善で出来ています。

その善はやはり善の心を持つ者が実現できるのです。

問題に意識を奪われ、毎日を過ごす。

その積み重ねが人生であり、その人の生きてきた道になるのです。

悪に意識を支配され苦しみの中で生きてきた道なのか?

それとも善の心を留めて笑顔で生きてきた道なのか?

苦しみを避けて楽に生きるとは、その出来事を避けて通る事ではなく、課題に取り組む道のことなのです。