神道・神社コラム

和を以て貴しと為すの本当の意味

和を以て貴しと為すの本当の意味

和を以て貴しと為すと聞くと皆で仲良くやろうと訳す人が殆どだと思います。しかし、実はそうではありません。

『目には目を歯に歯を』を勘違いしてる人が多い様に、この和というのは仲良くしなさいと思っている人が多いようです。

しかし、本当の意味は派閥や党派に別れ、意見の対立を深めるような事を行ってはいけない。

和(なごむ)の状態を作って話し合いをしなさいと言う意味です。

ただ『仲良くしなさい』と言う事ではなく、むしろ納得行くまで議論しろと言う事なのです。

つまり、和とは空気の支配を作り、長いものに巻かれろ的な状態の中で一部の人間の意見だけが出され、その意見に沿って物事を決めるのではなく、和みの【状態】を作って皆の意見を聞きながら物事を決めなさいと言っているのです。

これは十七条に繋がりますが、物事を1人で決めてはいけない。人は意見が違って当然だ。だから、皆で話し合いをして物事を決めなさいと言っています。

また、意見が通らないと人はその人のことを【愚人】だと言い、自分のことを【聖人】だと思うが、互いに【凡人】に過ぎないとも言っています。

当時は土地を得る事で国を得ることが出来ました。

なぜなら、土地を得ればその土地に住む民をも得ることが出来たからです。

そうやって勢力を伸ばしていたのが豪族です。

この時代、その勢力はいよいよ二分することになります。

その豪族が物部氏と曽我氏です。

聖徳太子は11歳の時、二つの豪族が権力を手に入れるために争い、多くの民が命を落とす様を目にしました。

互いの派閥が対立し、争うことは、一部の人間に権力が集中することになります。

そこで聖徳太子が発案したのが公地公民制です。

公地公民とは土地も民も天皇のものだという制度です。

しかし、ここで疑問が生じます。

天皇も1人の人間です。

結局1人の人間が支配するのではと考えたはずです。

しかし、公地公民の【こう】は皇地皇民とは書いていません。

この時代から天皇は公であり、私ではなかったのです。

つまり、我が国日本は1500年もの前から既に民主主義だったのです。

これが我々の天皇であり、天皇が今日の日本を作ったのです。

天皇陛下は何もやらないのではありません。

仕組みとは何もやらなくても上手く行く事を言います。

その仕組みの上に立たれていることを象徴と呼ぶのです。