神道・神社コラム

二宮金次郎に学ぶ

?【二宮金次郎の徳を学ぶ】

二宮金次郎と言えば焚き木を背負い本が読む姿を思い浮かべる。

二宮金次郎は勉学に励み、世の為に人事を尽くしたと言われています。

二宮金次郎は幼少期に両親を失い、親戚に預けられて育ち夜中でも勉学に励んでいました。

しかし叔父は油が勿体無いから火を消せと

二宮金次郎は荒地に菜種を巻いて収穫し、その油で勉学に励んだそうです。

なぜ、二宮金次郎は、そこまでして勉学に励んだのか?

それは二宮金次郎が読んでいた本が答えがあります。

二宮金次郎が手にしてた本は、孔子の弟子が書いた【大学】という儒教の教えです。

大学とは大人(たいじん)つまり、リーダーという意味です。

大学の中に【物事には本末が有り事に終始有、先後せし所を知れば、即ち未知に近しい】と言う言葉があります。

この意味は物事には本末がある。大事なこと(本)とそんな大事なではないこと(末)がある。

また、物事には始まりと終わりがあり、大元的な事を押さえていれば細かいことを分からなくても、人としての道は踏み外さないという意味です。

さらに大学には【三鋼領八条目】と言うものがありす。

三鋼領

明徳明らかにしる

民に親しむ

至善に止まる

明徳とは徳が明らかになったもの。

人にはそれぞれ生まれながらに徳に持っています。

その徳がまだ明らかになっていない状態【玄徳】と言い【無意識】を意味しています。

その徳を【意識】して明らかになった状態を【明徳】と言います。

玄徳はまだ自分の中に葛藤があり自分自身が分からない。

しかし、明徳になると自分が明らかになるので自分を離れて人の立場で物事を考えられるようになります。

これを【仁】と言います。

仁は徳目の最上級【愛】のことです。

人の事の考えられるようになって初めて民が親しむことが出来ます。

つまり、リーダーとして人を治めることが出来るのです。

しかし、人は完全無欠ではありません。

人には欠点がある過ちを犯して民の心が離れることがあります。

その様な時には人のせいにして悪態をつかず、さらに己を磨いて善に止まる様に努めなさい。

至善に止まると言っているのです。

八丈目

平天下・治國・齋家・修身・正心・誠意・致知・格物

【終身】までが己の身を修めること

【終身】からは社会に対することです。

人は先ず、己を作ることが大切です。

その第一歩は【格物】

この【格物】を分かりやすく言うと【感謝】です。

私達は生きているということだけで【感謝】する事で出来ます。

【致知】とは感謝する事の大事であるという教えです。

【誠意】とは自分の志や目的を持つことです。

目的や志が決まれば心が正しくなる【正心】

人に感謝でき、生きる目的や志を持てば心が正しくなり、人の身が修まり人間が出来ます。

これが【修身】と言います。

身が修まると社会とどう関わっていくか、その社会の始まりは【孝】

親や兄弟、親戚やご近所との関係を良好に作ること、これを【齋家】

それが広がって行くと【治國】

地域との関係に広がります。

そして【平天下】国家となるのです。

つまり、ひとりの人間が社会と繋がっている。

この事を【君子】呼びます。

人は君主になれずとも、誰での君子になれるという考え方れす。

この思想は中国で生まれましたが、易姓革命により中国では理想で終わっています。

易姓革命では前の君主を倒し新しい君主を立てました。

しかし、それは血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根源と言われています。

つまり、儒教は中華思想と言いますが、実際は中華思想ではなく、孔子の思想。

この思想を実現させた国が何を隠そう我が国日本なのてす。

日本は2678年間、徳の断絶がなく何かある度に徳を積む三旗の元に同士を募り、世を正してきました。

それは、我が国の民が一貫して格物から平天下に繋がっているからなのです。