古事記オンライン講座
木花之佐久夜毘売の出産
天瓊瓊杵命と木花之佐久夜毘売が結婚してからほどなくして、木花之佐久夜毘売は懐妊した事を夫に告げる。しかし一夜しか共にしていないのに身籠るはずはないと考え「その腹の子は我が子ではなく、どこかの国津神の子に違いない」と疑った。
これを聞いて怒った木花之佐久夜毘売は、「身籠った子が国津神の子であれば、無事に生まれず、貴方の子であれば、無事に生まれるでしょう」と言い残して立ち去った。
そしていよいよ産気づいてきた出産時に、木花之佐久夜毘売は、出入口が無い四方を壁に囲まれた八尋殿を建てて籠り、壁をことごとく土で塗り固め、そこに自ら火を放って出産に臨んだ。
そして木花之佐久夜毘売は、自らの予言通り、燃え盛る産屋の中で無事に出産する。
こうして火の中で生まれた子が、火照命(海幸彦)、火須勢理命、一番最後に生まれたのが三男の火遠理命(山幸彦)で、またの名を天津日高日子穂々出見命の三柱であった。三男の火遠理命の孫が初代天皇になった神武天皇、別名神倭伊波礼毘古命である。