古事記オンライン講座
大国主神の国譲りと出雲大社
建御名方神が降伏すると建御雷神は、再び出雲に引き返し大国主神に「そなたの子である建御名方神は我々に従う意志を表明した。二神は国を譲ると申し出たが、そなたの意見も伺おう」と尋ねる。
大国主神がそれに答え「我が子の二柱の神の申した通りでございます。私も仰せの通りに葦原中国をお譲り致します。」と申し出たが、それと同時に自分の住む住居の建設も次のように願い出た「ただし、私の住む所は、天照大御神の住まう立派な宮殿のように地底の岩盤に届くほど太く大きな柱を立て、高天原にまでそびえる様な高い千木を付けた大きな神殿をお造りし、そこに私を住まわせて頂きたい。それが叶うのであれば隠れ籠っておりましょうぞ」これが出雲大社の起源となった。
そして大国主神は続けて「私の子である百八十神達は、事代主神が先頭に立ち、また殿を務めるのであれば、誰も逆らう神はいないでしょう」と宣言し、これにより葦原中国の国譲りが成ったのである。
その後、出雲国の多芸志の小浜に、立派な大国主神の住む神殿を建て、水戸神(河口の神)の孫にあたる櫛八玉神を膳夫にして、神饌を祀り祝詞を奏上させた。
まず櫛八玉神は鵜に化生し、海底まで潜り、底に溜まった土を咥えて出て、それを材料にし天八十毘良迦(祭事用の皿)を作り、海藻の茎を刈り取りヒキリ臼を作り、火を起こして言った。「この私が起こした火は、高天原にいる神産巣日神の立派な新しい宮殿の煤が長く垂れさがるまで焚き上げ、大地の下は地底の岩盤に達するほど焚き固まらせ、長い楮の皮で作った釣り縄を海中に伸ばして、海人が釣り上げた大きな鱸を引き上げ、鱸を載せる台がたわむほど積み上げ、神聖な魚を調理し献上します」
この櫛八玉神の言葉を聞いた建御雷神は、高天原に帰り、神々の前で葦原中国平定の報告を行った。