古事記オンライン講座
葦原中国の平定と建御雷神
大国主神が少名毘古那神や大物主神と共に国作りをしたが、その様子を高天ケ原から見ていた天照大御神は「あの美しい国は私の御子神天忍穂耳命が治める地である」と言ってこの神を使者として遣わす。
しかし、天忍穂耳命が天の浮橋に立ち葦原中国を覗くと、国津神達が騒いでいる様子が見えたので高天ケ原に帰ってしまう。
そこで、高天ケ原の神々は天安河原に集まって思金神を中心に策を考える。その会議の結果、葦原中国に遣わす次の使者は天菩比神となった。だがこの神は三年経っても帰って来ず、逆に大国主神に媚び従ってしまった。
次に天若日子が弓矢を渡されて派遣されたが、この神はなんと大国主神の娘である下照比売と結婚し、葦原中国をわが物にしようとする。
そこで、高天ケ原の神々は次に雉の鳴女を天若日子の元に派遣して、本来の使命を忘れていないか問い正す。しかし鳴女の言葉も天若日子の耳には届かず、天津神から授かった弓矢で鳴女を射殺してしまった。
その矢は、鳴女の胸を貫いて高天ケ原の神々の元まで届いた。
飛んできた矢を手にした高御産巣日神は矢の羽に血が付いているのを見ると「この矢は天若日子に授けたもの。もし天若日子が悪を射た矢であるなら、彼に命中するな。逆に謀反を企てた邪な心をもって射た矢なら、天若日子に当たれ」と言って、その矢を投げ返した。すると天若日子はその矢を胸に受けて死んでしまった。
天若日子の葬儀に阿遅志貴高日子根神が弔いに来たが、その姿が天若日子と瓜二つだったので生き返ったと間違われる。間違われて怒った阿遅志貴高日子根神は、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴飛ばしてしまう。
この喪屋が美濃国(岐阜県)に飛んで落ちて喪山になったと言われる。
これまで葦原中国に遣わした神々は失敗に終わり、天照大御神は「次の使者はどの神がいいだろうか」と言って高天ケ原の神々と相談する。そこで思金神は「天安河原の河上にいる伊都之尾羽張神かもしくはその御子の建御雷神を遣わすのがいいでしょう」と進言し、天迦久神を天安河原の河上にいる親子の元に派遣した。
天迦久神が伊都之尾羽張神に尋ねたところ「恐れ多い事ですが、謹んでお仕えします。ただ葦原中国に遣わすのは、我が子の方が適任です」と言って直ちに建御雷神を使者として任命した。