古事記オンライン講座

大国主神おおくにぬしのかみの国作り

出雲に帰って来た大国主神おおくにぬしのかみ須佐之男尊すさのおのみことから授かった宝物の生太刀いくたち生弓矢いくゆみやを用いて八十神やそがみ達を次々と降伏させる。
出雲を平定した大国主神おおくにぬしのかみは、八上比売やがみひめと結婚する。しかし八上比売やがみひめは出雲に連れて来られたが、正妻の須勢理毘売すせりびめの嫉妬を恐れて、自分の子を木の俣に挟んで故郷の稲羽に一人で帰ってしまった。その御子神を木俣神きまたのがみ、または御井神みいのかみと言う。
その後大国主神おおくにぬしのかみは、沼河比売ぬなかわひめと結婚する為に高志国こしのくにに出向いた。二神はお互いに歌を詠み会った翌日に結ばれる事となった。
大国主神おおくにぬしのかみが再び妻を娶った事を知った須勢理毘売すせりびめは限界に達し、物凄い剣幕で夫に迫る。困り果てた大国主神おおくにぬしのかみは出雲から大和に旅立とうとしたが、別れの間際に二神はお互いに歌を詠み合い、杯を交わし再び仲睦まじく暮らしたという。

古事記には建御名方神たけみなかたのかみの母神は明記されていませんが、先代旧事本紀せんだいくじほんきによると沼河比売ぬなかわひめの子という伝承もあります。

さて、出雲を平定した大国主神おおくにぬしのかみの元にとても小さな神が訪れる。その小人神は海の沖合から蔓草つるくさ天乃羅摩船あめのかがみぶねに乗って、蛾の皮で作った服を着ていた。
大国主神おおくにぬしのかみが名前を訊ねるが、答えなかったので物知りの崩彦くえびこ案山子かかし)に尋ねると「神産巣日神かみむすびのかみの御子神の少名毘古那神すくなびこなのかみに違いないでしょう」と答えた。
そこで大国主神おおくにぬしのかみ神産巣日神かみむすびのかみにこの事を尋ねると、神産巣日神かみむすびのかみの手から漏れ落ちた子であると判明した。そして神産巣日神かみむすびのかみ大国主神おおくにぬしのかみ少名毘古那神すくなびこなのかみに、お互い協力して国を作ることを命じる。こうして二神は兄弟となり、力を合わせて国を作り始めた。

その後大国主神おおくにぬしのかみ少名毘古那神すくなびこなのかみは協力して国を作っていたが、ある日突然、常世とこよの国に少名毘古那神すくなびこなのかみは一人で帰ってしまう。
大国主神おおくにぬしのかみは、自分一人でどうやって国を作ればよいのか分からず途方にくれた。その時、海の向こうから神がやって来て「我が御魂を大和の東の山頂にお祀りすれば、国作りは成功するだろう」と言った。その神の言葉を聞いた大国主神おおくにぬしのかみは、早速大和の東にある御諸山みもろやま(現在の三輪山みわやま)にその神を祀った。この神は大国主神おおくにぬしのかみ幸魂奇魂さきみたまくしみたまだと宣言し、現在も三輪山みわやまに祀られる大物主神おおものぬしのかみと言われる。山の麓にある大神おおみわ神社は、神殿が無く拝殿の奥にある三輪山みわやまそのものをご神体にしている。
こうして、大国主神おおくにぬしのかみ大物主神おおものぬしのかみと共に、葦原中国あしはらなかつくにを平定し国作りを終えた。