【真実は自然の中にある】

【真実は自然の中にある】
私は幼い頃から、答えは真里が中にあると、自然の真里を読み解き、答えに導く事を習慣化していた。
そのお陰で、世の中の仕組みがすべて手に取るように完全に理解できる様になったのである。
もっと言うと、人の手によってねじ曲げられたことも完璧に見通せる。
例えば、世界遺産や国宝といったものを参考に、正しさで組み立てようとするのが人間である。
国宝はこうだからこれが正しいとか…
それが大きな問代を引き起こす。
総理臣が言ってるから正しい。
大統領が言っているから正しい。
しかし、天皇陛下が言ってはいけない事を知っているのである。
社会や人様に影響を与えるようなことは決して言わない。
以前、昭和天皇が記者にどんなテレビを見ていますか?と質問した。
『テレビは色々観てはおりますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので、今どう言う番組を観ているかは答えられません』との答えた。
これが、君主の然るべき姿である。
先日、姫路城に行った。
そこで聴いた話だが、通常、鯱鉾はオスとオスが対になって乗っかているのである。
姫路城の鯱鉾はメスだけ。
これは【昭和の大修理】が間違えてメスだけを乗せたそうだ。
しかし、これが何百年も経つと、姫路情の鯱鉾を見て
『あれば昭和の大修理で全てメスになった。なぜなら、その時代から女性が社会に認められるようになり、男女平等になったその証なんです』
なんて事になる。
しかし、真里はそうではないのである。
オスとメスが仲良く一対で存在し、口を開けている【阿】と口を閉じている【吽】でセットになっているのである。
これは宇宙で初めて宇宙の終わりを意味し、全てを受け入れることである。
また、陰陽の象徴である。
こうやって真理を学べは答えは見えてくるのである。
特に仏教においては、人の意思が加わり、変化しているものが多く、仏教の経典は真理と逆らっている物がほとんどである。
如来の時と方位を守る十二神将も宗派やお寺によって、その方位は異なるのである。
そればかりが、方位や時間に置かれている十二心象はほとんど存在しないのである。
なぜなら、十二神将と干支は後付けだからと、言っているが、後付けなら、他の意味が存在のするはず。
その意味がなければ、如来に天部を置いただけと言うことになるのである。
それは単なる意味のないデザインになるのである。
これが人を惑わす。
だからこそ、真理を学ぶ事が大切なのだである。
鬼滅が刃でも長の事を【柱】と読んでいた。
柱とは神という意味のである
鬼を退治する神さまと言う意味になる。
この事から作品に深みが出て、ヒットするのである。ヒットする法則も完璧に真里にのっとっているのである。
私はこれを完ぺきに理解し、その真理の源こそが、陰陽説であり、五行説であると断言する。
その二つを足して【陰陽五業】と言う。
この陰陽五行について、これから詳しく話していきたいと思うのである。