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動画で学ぶ神道・神社更新しました。
矛盾こそがあなたを成長させる
日本の神様は八百万の神と言い、西洋の神様と違い全知全能ではありません。
アマテラスさえ、雷を落とすことも、風を吹かすこともできません。
従って、足りないところを批判するのではなく、共通点を見つけ足りないところを補いながらこの自然界は出来ているのです。
つまり、この世にあるのは完全無欠ではなく、矛盾なのです。
八百万の神はその矛盾を補いながらこの自然界を守っています。
つまり、この矛盾に出会ったときこそ、人のお役に立てるし、あなたは活かされるのです。
しかし、完全無欠があると思うと、常に自分は正しいとなってしまいます。
でも、この世には矛盾しかありません。
その矛盾に出会った時に、人は悩無のです。
悩むから考える。
考えるから行動する。
行動するから答えが出るのです。
しかし、矛盾がないと思えば、人のせいにしていまします。
人のせいにするから考えない。
行動しない。
従っていつまで経っても答えも出ないのです。
この様に、あなたを成長させるのは矛盾に出会った時なのです。
『考えてから動け!』
『動いてから考えろ!』
もし、同じ人から言われたら、あなたにとって、その言葉は間違っているかもしれません。
しかし、考えて動くことも、動いてから考えることも、正しいのです。
もし『こんちくしょう!』と【人】に眼を向けた瞬間、あなたは【悪に意識を奪われている】
逆に『これはどんな意味があるんだろう』と【事】に眼を向けると、あなたは【善に心を留める】ことができる。
つまり、善に心を留めている状態を【清らかな状態】
悪に意識を奪われている状態を【穢れた状態】と言うのです。
双方の違いは【人】に眼を向けるか【事】に眼を向けるかの違いなのです。
ここが大きいのです。
【人】か【事】か。
孔子はこれを至善に止まると言いました。
もし、人に眼を向けたら、穢れた一日を過ごすことになるでしょう。
その一日の積み重ねが人生であり、あなたそのものなのです。
つまり【人】に眼を向けた者は穢れた人生で終わります。
しかし【事】に眼を向けた者は清らかな人生で終えることができます。
この様に同じ出来事でも【穢れた】経験を積むのか?
【清らかな】経験を積むのか?
全てはあなたの選択次第です。
全ては矛盾の解釈で、この世の中は良い世の中にも、悪い世の中にもなるのです。