神道・神社コラム

躾(しつけ)が人間関係を悪くする

躾(しつけ)が人間関係を悪くする

 

神道には経典もなければ、哲学も倫理もありません。

しかし、私達日本人は神が最も理想とする民族になったのです。

それは教えにより作られた国ではなく、学びによって作られた国だからです。

人はついつい分かったつもりになって人に教えようとする傾向にあります。

 

躾(教え)をするべきではない

 

その最たるものが子供の躾です。

ああしなさい。こうしなさい。

出来て当然だと言わんばかりに押さえつけゆうとします。

そして『ありがとう』と言える大人になりなさいと…

 

 

もしこれが、夫婦間で起きたならどうでしょう?

夫が妻を躾る。

もしこれが、嫁姑で起きたらどうでしょう?

姑が嫁を躾る。

もし、あなたが妻だったら、嫁だったら、子供だったら…

もし、あなたが夫だったら、姑だったら、親だったら…

自分が嫌がることを人にやっていたとしたら…

 

人は人の言葉を聞いているのか態度を見ているのか

 

もし、出来て【当然】だと言う心で子供に【ありがとう】と言える大人に躾ようとしたなら…

子供は親のその言葉を聞いてるでしょうか?

それとも親のその態度を見ているのでしょうか?

 

もし、その言葉を聞いていたなら、素直に『ありがとう』と言えるでしょう?

しかし、もし親のその態度を見ているとしたならば子供もまた【ありがとう】と言えず、

出来て【当たり前】と思う大人にならないでしょうか?

 

努力すれば夢は叶う。

やれば、なんでも出来る。

確かにそうかもしれません。

 

しかし、忘れてはならないことがあります。

もし、雨が降らなければ米は出来ない。

もし、やれる環境がなければやりたくてもやる事は出来ない。

もし、この国に生まれてなければ、この歳まで生きてこれたかさえ分かりません。

もし、母体満足に生まれてなかったら、今の自分が存在するかさえ分からないないのです。

当たり前なんてどこにもないのです。

常にお陰様。

 

ありがとうと言える人間になることが大切です。

ありがとうと言う言葉は教えれるかもしれません。

しかし、心が備わらなければ心からありがとうと言える人間にはならないのです。

教えて育つ子供を作るより、教わる心を持つ子供を作る事の方が最も大切です。

 

神道も同様、教えはなく自ら答えを求めて学び取る事が大切です。

また、神は見守りもしないし、道を示してもくれません。

自然の中からその姿を見て感じ取り、行動するしかないのです。

 

優しい子供に育てたいなら、子供に優しく接し、思いやりのある子供に育てたいなら、

子供に思いやりを持って接し愛情がある子供に育てたいなら、子供に愛情を注いで接する。

自ずと子供は親がやったように育つものねす。

 

確かに時に教えも必要な場合があります。

しかし、それ以上に姿を見せる事がもっと大切なのです。

 

人は言ってることを聞きません。

やってるところを見ています。

 

その姿を見せる事こそ、神道の真髄であり、その姿こそが自分自身なのです。

 

あなたの数魂と守護神・風水の霊獣を教えます