神道・神社コラム

神を信じる者は人を信じる

神を信じる者は人を信じる

神を信じきれないものは、運も信じきれず、人も信じられません。

人を信じきれないから、人を尊敬したり感謝することもないのです。

これは、上司と部下、親子関係でも同じことが言えます。

部下や子供が出来るように『あれしなさい、これしなさい』と指示をする。

それを彼らは教育だと言います。

しかし、彼らは大きな過ちを犯しているのです。

【上司三年部下三日】という言葉があります。

上司は三年経っても部下のことは分からず、部下は三日で上司の事が分か流というのです。

なぜ、上司は大きな過ちを犯しているのでしょうか?

それは、部下は一人じゃ出来ないと思い込んでいるからです。

だから、指示をするのです。

しかし、部下や子供がやれないのには理由があります。

その理由こそ【不満】なのです。

これを気が枯れた状態

穢れと呼びます。

その穢れを祓ってあげることこそ、上司や親の役目になります。

本来は出来ます。

しかし、不満があるから出来ないのです。

しかも、不満はひとつしかありません。

例えば頭痛と腹痛、どっちが痛いですか?

人間とは同時に2箇所以上痛がることは出来ません。

これは心も同じ事です。

この様に不満という心の痛みは一つしかないのです。

大きく【人・物・金】

このどれかに当てはまります。

つまり、部下や子供のひとつの悩みすら理解していない親や上司が、10や100理解させようとするのです。

なぜなら、一人でやれると信じていないからです。

この様に目に見えるものに意識を奪われず、目に見えないものに意識を寄せられない。

遅刻した者に意識を奪われるのではなく、遅刻しなかったにも関わらず言挙げせず黙っている者。

誰かが問題を起こし、その問題で負担になっているにも関わらず、善に心を留め、言挙げせず黙ってやっている者。

あなたが心を寄せ、評価すべき者は問題を起こしたその人ではなく、言挙げせず黙ってやっているその人にあります。

目に見えないものを信じ、目に見えないところに配慮する。

それを神の様な振る舞いというのです。

神も眼には見えない。

しかし、その神の存在を感じきれる人間は、その眼に、はっきりと神の姿を写すことが出来るのです。