神道・神社コラム

平和は反対によって作られるのではなく、賛成によって作られる

平和は反対によって作るのではなく、賛成のよって作られる

反対の積み重ねは人を卑屈にさせ、賛成の積み重ねは人を幸せにします。

先ずはこの基本概念で話を進めていきます。

反対=叱る=拒む=苦しい=不幸せ

賛成=褒める=認める=嬉しい=幸せ

この事から分かるように人は反対の積み重ねで不幸せになり、賛成の積み重ねで幸せになるものです。

では、なぜ人は反対するのでしょうか?

反対運動をする多くの人達は、本当の事実を知らないまま行動しています。

これは涙に似ています。

こんな言葉があります。

『人は悲しいから泣くのではない。涙を見て泣くのだ』

反対運動も、これに似ているところがあります。

人が反対している行動を見て影響を受けるのです。

そして、日頃鬱憤がたまっている他の事を爆発させます。

中国や韓国の反日デモもそれと同じです。

つまり、人はマイナスに意識を奪われやすく、影響されやすいのです。

だから、よく考えず無意識のままに行動してしまいます。

しかし、それは私達にも責任があります。

もし、私達に明確な答えがあるのであれば、胸を張って伝えることです。

しかし、彼等の行為は決して悪ではありません。

なぜなら、彼等が考える悪に対して、善なる声を上げているからです。

従って、善に対して善で応酬すると【悪】が生まれるのです。

やられたら、やり返す、その行為は戦争に似ているところがあります。

戦争はそうやって起きるのです。

平和を守るために反対運動を行うのではなく、平和を築くために日頃から意識ある行動をとる事です。

この事が大切ではないでしょうか?

平和とは何か脅かされるような事が起きた時に声を上げて作るものではありません。

私達の日常の行いの積み重ねが平和を築くのです。

何も起こらないから平和ではありません。

何も起こらないように行動をする事が平和を築く事に繋がるのです。

だから【何事もない事】

これが私達の【最大の幸せ】なのです。

なぜならば私達は【何事もない】から【なんでも出来る】

しかし、これはあくまでも理想であって現実はそう上手くはいきません。

だから反対運動が起きるのも仕方ない事であって、そのお陰で議論が重ねられる一面もあるのです。

ただし、そこに留まることはとても辛いことでもあります。

そうならない為にも一人一人の日々の積み重ねが必要なのです。

その一人一人に影響を与えられるような人物になった時、その矢も外から内へと向かうはずです。

非なる非ではなく、善なる善を重ねる。

それこそが徳であり、神の道、神道でもあるのです。