神道・神社コラム
【神道を学びたければ易経を学ぶこと】
【神道を学びたければ易経を学ぶこと】
私が易経を学ぶ理由があります。
実は神道と易経は密接に関係しています。
なぜなら、神道という言葉は易経から引用した言葉だからです。
日本人の多くは神道とはなんなのか?
答える事はできません。
私も神道に出会い、多くの神主様、博学者に直接会って話を伺いました。
しかし、明確な答えを得る事はできませんでした。
そこで分かったことがあります。
それはやっている事と知っている事は違うという事です。
知っていても、やれていない人が多くいる様に、やっていても知っている人は少ないということに気づきました。
では、神道とはいつから出来たのか?
元々、日本には神道と言う言葉すらなく、自然には神々が宿ると考え、自然の恵みに感謝しながら、祭祀を行ってきました。
しかし、仏教が伝来した頃、この祭祀に何か名前をつけた方が良いとなり、中国の【易経】にあった神道と言う言葉を引用して付けられたのです。
この易経は4000年ほど前からあるもので、自然の真理と人が持つ意思を繋ぎ、どうやったら人が上手く生きていけるのかを学問にしたものです。
この易経を学び、完成させたのが【孔子】です。
「われ十五(15才)にして学(学問)に志し」
「三十(30才)にして立つ」
「四十(40才)にして惑わず」
「五十(50才)にして天命を知る」
「六十(60才)にして耳順う」
「七十(70才)にして心の欲するところに従っても矩をこえず」
この五十にして天命を知る。
これこそ、人には生まれ持った天命(宿命)があると言うもの。
この宿命を割り出すのが【易】なのです。
つまり、日本人がやっていた事を明らかにし、教育の一環として自然の真理を学ぶ学問こそが【易】なのです。
この易を学んでいたのが、聖徳太子や空海、最澄、吉田松陰と言った偉人たち。
空海から最澄に宛てた手紙の中で交わされた約束
【金蘭の契り】
この金蘭こそが易経からの引用です。
この様に、日本の根底を支えた人達が学んだもの。
それこそが易経なのです。
また、孔子が説いた徳目の序列。
【仁義礼智信】
これが日本に渡り、この序列が変更され、
【仁礼信義智】となりました。
こらが冠位十二階です。
【智】知恵があって正義がなければ略奪に過ぎず
【義】正義の元に人は争うが、信頼があれば争うことはなく
【信】信頼は感謝や尊敬、礼儀正しい人に集まり
【礼】礼儀が知ると人への慈悲、人の仁愛を理解し
【仁】人の為に尽くすものが仁であり、それら全てを卓越した人に徳が備わる
【徳】徳は人の上ではなく中心にある。
これは、私が易を研究する中で気づいた事ですが、仁義礼智信は相克の関係。
仁礼信義智は相生の関係になっていたのです。
聖徳太子はきっとこの事に気づき、序列を変えたのではないか?
そう考えるに至りました。
人は学ぶことから始めます。
人は知恵がつくと行動します。
行動すると結果が出ます。
結果が出ると成果が出せる様になります。
成果が出ると自分は正しいとなる。
これが正義です。
そして、正しい者同士が争うのです。
さぁ、あなたならこの2人になんと言いますか?
『2人は正しい、しかし君らはまだ徳目の序列というと下から二番目、そろそろその上の信に行っても良いのではないだろうか?ところで君達は信頼関係はあるのかい?』
信頼関係は互いが歩み寄らなければ築けません。
つまり、信から上が和合の精神なのです。
信頼が厚い人とは人を尊敬したり、感謝ができる人。
だからその上に【礼】があるのです。
そして、人から感謝される人、尊敬される人、それが【仁】です。
智と義で【繁栄】をもたらし
信・礼・仁で【平和】を築く。
それら全てを持ち合わせた人のことを【徳】と呼んだのです。
皆様も、神道を学びたければ【易】を学ぶ事です。
易とは決して占いではありません。
易とは物事の筋道、生きる道、天下国家を治める道を示す宇宙の原理を表すものなのです。
ちなみに歴代天皇の名前に仁が入っている事はご存知でしょうか?
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