神道・神社コラム
【古事記夢追い解読記】
【古事記を読み解く】
古事記にはロマンがある。
古事記には歴史がある。
古事記には政治がある。
古事記には物語がある。
この様に、古事記をどの角度から読むのかによって捉え方が人それぞれです。
◉古事記は詩
私の場合は古事記は読んでませんが一種の詩として捉えてる。
例えばこんな詩があったとしましょう。
『桜散る、夢砕けても』
この詩を読みと、春に試験か何かに落ちたのだろうと想像つきます。
しかし、そんな事は一言も書かれていません。
つまり、受け取る人の受け取り方で、物語は如何様にも膨らませることができるのです。
そこで【古事記夢追い解読記】と勝手に称して皆さんに、古事記の夢のまた夢を追いかけて物語を届けたいと思っています。
これまでに無い癇癪や発見があると思いますので、どうぞご期待ください。
日本書紀の中に書かれている五大進捗にはこの様な事が残されています。
◉古事記を書いたのは誰?
記念すべき第一回は、古事記を書いたの誰?
この事について読み解いていきたいと思います。
この質問をすると多くの人は【天武天皇】を答えます。
しかし、古事記の編纂でついてよく調べるとこんな史実が出てきます。
古事記が完成したのは712年。
天武天皇が崩御したのは686年。
空白の26年間がある。
この事から、天武天皇は命じただけで、内容に携わっていない事が分かります。
では内容に携わったのは誰なのか?
それは天武天皇の皇后あり、後の持統天皇です。
この事が分かれば様々なミステリーが解決します。
日本書紀の中に書かれている五大進捗にはこの様な事が残されてでいます。
◉象徴天皇の始まり
なぜ、古事記の話には生々しい戦いがないのか?
また、天照は終始戦わずに事を治めようとします。
そこには母性があります。
その母性は子を思う愛が描かれています。
持統の息子は早くに亡くなり残された【軽】という孫がいました。
この孫に皇位を継がせる為に持統を女性天皇に即位し、孫の繋ぎ役に徹します。
また、当時の側近で一番、力を持っているたのが藤原氏。
この藤原氏の娘を軽の夫人として迎えます。
さらに政を藤原氏に託し、権威と権力を分け【象徴天皇】が出来たのです。
日本書紀の中に書かれている五大神勅にはこの様な事が残されています。
◉侍殿防護の神勅 –(じんでんぼうご)
願わくば息子二柱に告ぐ、同じ社にて君主の側をお守りし仕えよ。
この二柱とは、ニニギの側近として天孫降臨をお供したアメノコヤネとフトダマ。
アメノコヤネの子孫が中臣。
なぜ、五代神勅にわざわざ明記したのでしょうか?
それは権力の明確化と忠誠心の願いで込められいるからです。
また、命令ではなく願わくばとお願いしているところが注目すべき点です。
この母の愛こそが日本の始まりであり、その愛によって日本が守られたと言っても過言ではありません。
◉第一回目の式年遷宮
また第一回目の式年遷宮を行ったのも持統天皇。
実はその後、明治に至るまで天皇は一度も伊勢神宮を参拝していません。
もう既にお気づきの方はいるかもしれません。
◉天照はなぜ女性だったの?
天照がなぜ女性だったのか?
それは持統天皇を神格化したからです。
この事実が天孫降臨に描かれています。
なぜ、天孫降臨は息子ではなく孫だったのか?
それは天照(持統天皇)
ニニギ(軽・後の天武天皇)
こう考えると物語は綺麗に収まります。
藤原氏に我が孫を託したとも考えられます。
その代わりに政は渡すと。
この様に古事記にロマンを持って読み解けば面白い発見がたくさんあります。
全国各地で講話・口座を開催しております。