神道・神社コラム

神道についての質問
下記のような質問がありましたので、皆様にもご紹介致します。
【無知の知】と神道とどの様な関係があるのでしょうか?
完全に西洋哲学ですよね
神道は所謂、国の成り立ちにおいて天皇の正当性を示すものが始まりであるように考えております
これまでここで書かれてきた道徳心等々は「西洋哲学」「仏教哲学」の様に感じます
長い歴史の中で神道と仏教が融合しそれらの遺産として時代があるように感じますが
そもそもは、どちらの教えなのでしょうか?
神道は教えにあらず・・・教えを説くのは宗教と過去、記載があったように思いますが(記憶違いでしたら申し訳ございません)
神話はあっても、説法めいたものはないように思います
これらは仏教によるものではないのでしょうか?
お稲荷さんが商売繁盛を願う庶民の信仰であったり、八幡信仰が武家に信仰、庇護され日本各地に広まったりとした中で、今回記載のある内容や道徳心や所謂「神道教義(これまでここに記載されてきた内容)」などの関係はどのように生まれたのでしょうか?
本来あった北野天満宮も菅原道真の祟りを鎮めるものとは全く違ったものになっております。
藤原道真を学問の神として天満宮が信仰され始めたのは江戸期に朱子学者の優れた学問をもった道真信仰を集めたがためで、本来あった菅原道真の祟りを鎮めるものとは全く違ったものになっております
これらに他者を想いやる心はあるのでしょうか?
現世利益、自己利益のみの様に感じます。
神道の心とはなんなのでしょうか?
最後に、靖国神社については如何お考えですか?
戦没者、英霊を祀る神社も神道なのでしょうか?
浅学故、読めば読むほど頭がこんがらがっております
ご教示頂ければ幸いです
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人はついつい物事を対極に考えがちですが、全く違う人なんてこの世にいません。
また、神道とキリスト教、仏教は全く違うのかというと、そんなことはありません。
雨は空から降るし、川は上から下へと流れる。
悪いことしたら『ごめんなさい』
良いことしてもらったら『ありがとう』
これも同じです。
ただ、違うのは西洋では『人が喜ぶことをしなさい』と言いますが、儒教の影響を受けた私達日本人は『人が嫌がることはしてはいけません』と言います。
この両者は全く違います。
人が喜ぶ事をアクセルとするならば、人が嫌がる事はブレーキです。
ここは、どちらが正しい、間違ってるという事はありません。
お互いが見習わなければならない事です。
また、日本人は『縁起の悪い事は言うな』と言いました。
常に感謝を届ける心を大切にして、日々過ごさなければ、神様から祟りが来ると神社へ感謝を届けに行ったのです。
これこそ、人が営みの中で培った習慣です。
これを【礼儀】と言いました。
決して神様が言った事ではありません。
これは雨が空から降る様に、ごく自然に出来たものなのです。
神社の真ん中を歩いてはいけない。
二礼二拍手も誰かが勝手に決めたのではなく、人が営みの中で出来た【礼儀】なのです。
菅原道真に関しては、昔の日本の神様は祟りや災いを齎す怖い存在でした。
これは同時に恵みを与える素晴らしい力を持つ事でもあります。
恵みを【和魂】災いを【荒魂】と呼んだのです。
なぜ民が菅原道真に願い事をするのかご理解できましたか?
護国神社に祀られている英霊は、私を捨て日本の為に戦って命を捧げた者です。
神様をよく見ると分かるのですが、なぜ出雲大社と伊勢神宮が二大神社と言われるのか?
それは私を捨て公の為に力を尽くした神様だからです。
もし、神社の神主様が自分の為や神社の為にお祈りをしてるとしたら、どうでしょう?
そこにご利益はあると思いますか?
全国の神社では世界の繁栄と平和を願っています。
だから、人はパワーを感じるのです。
これは私個人の考えです。
決して正しい訳ではありません。
皆様にも自分なりの解釈があるはずです。
それが神道の心です。
自分が正しいと思われる事を実践すれば良いのです。
そこに違いがあれば、問題が生じます。
その問題の中で次の心が生まれるはずです。
まずは自分が正しいと思う事をやる。
そして、その心を広める。
初代神武天皇の即位の言葉。
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自分が正しいと思う事を行って、その心を広めてこの国を守りたい。