神道・神社コラム

神社になぜご利益があるのか?
この神社にはパワーがある。
この神社はこんなご利益がある。
この神社はこんな事を見守ってくれる。
そういう意見をよく耳にする。
では、なぜ神社にその様な力があるのか?
人は自分に出来ないことをやる人の事を凄い人だという。
また、その様な人にあやかりたいとも考える。
そして、少しでもその人の側にいて、何かを学ぼうとする。
その徳が高ければ高いほど、多くの人を引き寄せるものだ。
例えばサッカーでゴールを決めたとしよう。
ゴールを決めた選手は喜びガッツポーズする。
問題はここである。
そのガッツポーズは誰の為のポーズなのか?
ゴールを決めた自分の為のポーズなのか?
それとも、チームメイト、サポーター共に喜ぶポーズなのか?
一見、同じポーズに見えるが、全く違う。
これをお金に例えれば分かりやすい。
会社で稼いだお金を社長が独り占めするのか?
それとも社員に分け与えるのか?
全く意味合いが変わってくる。
この様に、人は立派になればなる程、自分の身を離れ、他人のことを考える様になるものだ。
では、神社の宮司は何をお祈りしているのか?
宮司は自分の為や自分の神社の為だけのお祈りはしない。
どの神社でも世界平和と人類和合を祈っている。
また、その宮司の最高位に立たれているのが天皇陛下である。
天皇陛下は宮中三殿にて、年に何十回もの祭祀を執り行い、世界平和、人類和合を称えているのだ。
つまり、その尊い思いが天に届き、天から降り注ぐ自然の恵みを身体全体で受けているからパワーを感じるのである。
それを人はご利益という。
さあ、皆さんはご利益を頂きに行く側に立つ人ですか?
それとも与える立場に立つ人ですか?
神社で手を合わせ、お祈りするその姿が、今の自分自身なのです。