神道・神社コラム

白黒はっきりしなくて良い

日本と仏教

 

古くから日本には共通の教えが存在しませんでした。

教えが存在しないから自分で答えを探さなければならなかったのです。

 

 

なので、人は悩み苦しみました。

これは、人だけではなく日本の神々も同様でした。

そんな時に悩みから救済したのがだったのです。

 

 

神道は自然と向き合って感じるものでありますが、

仏教は人と向き合って考えるものです。

 

つまり、神道は本能であり、仏教は理性なのです。

 

通常、人は違う価値観を持ったものを受け入れがたいものです。

価値観は理性や知性によって形成されるが日本人は

価値の対立を作らず本能の赴くままに受け入れたのです。

 

白黒つける諸外国

 

これは諸外国には曖昧と言う他ありません。

 

キリスト教が仏教を受け入れることはないからです。

しかし、キリスト教も天使だけでは矛盾が生じたため、悪魔の存在を示しました。

従って一神教は実は二神教なのです。

 

世の中を白か黒か、天使か悪魔か

どちらかを選択します。

 

 

これが合理的な考え方です。

しかし、日本にはそもそも、あれもこれも存在します。

 

白黒はっきりしなくて良い

 

だから天使も悪魔もないのです。

天使も悪魔も単独で存在するものではなく、

一人の人間の中に天使も悪魔も存在します。

 

人を襲う獣は人にとって悪魔そのものであるが、

獣を食らう人は獣にとって悪魔と言う認識は誰も持ちません。

 

日本人は合理的な思想を受け入れたが、

曖昧な考え方を否定することはなかったのです。

 

 

なぜならこの世に曖昧な事が存在する事を知っているからです。

 

そもそも、宗教が繁栄する前までは哲学が盛んでした。

哲学の発展は前者を否定することで発展を遂げて来ました。

 

万物を知ることが人にとって大切であると唱えれば人は

生きている間にこの世の万物を理解することなど出来ません。

 

この世に存在するのは自分だけなです。

従って自分を理解することが重要なのです。

 

この様に右にふれたり、左にふれたりして発展を遂げて来ました。

そして彼等が追い求めて来たものは合理化でした。

 

しかし、万物を理解する事も自分を理解する事も等しく大切なことなのです。

この曖昧の中にあるものを大切にして来たのが私達日本人です。

 

この曖昧な生き方こそ、ど真ん中【中庸】の生き方なのです。

 

 

私達は大陸で発展を遂げた合理的な考え方をありがたく頂戴し、

発展の為に活用させて頂くだけありますね。

 

あなたの数魂と守護神・風水の霊獣を教えます