活かされている事への感謝

先日、静岡でこんな話を耳にした。

静岡のある学校ではついに頂きますを言わなくなった学校が現れたそうだ。

何故そうなったのか?

それは母親の一言

『なんで給食費を払っているのに頂きますを強制させるのだ』
この言葉に学校側が対応。

遂に頂きますを取りやめたそうだ。

皆さんはこれを聞いてどう思いますか?

このままで良い。

それともこの状態をなんとかするべきだ。

どっちでしょう?

皆さんが声を上げないと、この日本は本当にダメになってしまう。

一部の声を上げる人間の意見が世の中を作り、陰徳を積む人間が置き去りにされる。

道徳心をもう一度取り戻しますか?

それとも、ルールや規則で縛る社会をつくりますか?

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大切な人が亡くなれば、その人に対して供養を行う。

しかし、私達を生かさせて頂いている食べ物に対して供養を行う者はいない。

その食べ物にも等しく【命】が存在する。

その命を頂く事で私達の生命は繋がっている。

その命に対して私達の祖先は【供養】を【感謝】という形で祭祀を執り行って来た。

感謝とは生かされていることへの【供養】の意味も含まれていたのである。

また、人間にとって都合の悪い物を取り除く事がある。

その罪や汚れを神様に引き受けて貰う。

その事を【お祓い】と言った。

神社でお祓いを行い、祈願するのはこの様な事からである。

また、多くの場合、罪や穢れは仕事をする事で起こる作用である。

大きな仕事を行えば行うほど多くの命を頂く事になる。

私達の祖先はその命に対して感謝し、お祓いを行って来たのだ。

そうやって私達の傲慢さを祓い、謙虚さを保って来たのかもしれない。