本物とは何なのか?

道徳心と共に育った幼少期
その後、商売に没頭するために道徳心を胸にしまい、栄えた二十代。

己だけの幸せでは満たされないことに気づき、33で道徳心を取り出す。

そこから10年、道徳を取り戻すための修行が始まる。

そして、行き着いた場所が神道だった。

その神道を学ぼうとするが深く入るどころか、表紙から難しい。

さらに神道には言挙げしないと言う厄介なものがあった。

ご利益や開運、金運と言った言葉を並べて神道を分かりやすく語る者はいるが、そもそもそれを言った時点で、それはまやかし。

本質を理解してある者は言挙げしない。

だから、難しい。

結局、自分で学び取るしかないのである。

幸い、私は12歳から内観を行い、自然の真理と向き合って来た。

書物や人の言葉に頼ることなく、自然の真理と向き合うことで答えを導く術を知っていた。

そして、その場所に行けば、自然と言葉が湧き上がって来たのだ。

その言葉を思うまま書いた。

それが神道の心を伝えるの活動の始まりである。

そして、こう思った。

この事を広げなければ…

よくこんな言葉を耳にする。

本物は分かる。

しかし、その本物の定義が人それぞれだ。

私は思う。

本物とはなんなのか?

本物を慰めで使う人がいる。

最後は本物が残るなどと。

私はそんな慰めの言葉は使わない。

本物とは今は何も知らなくとも、誠の心を持ってそこに立つ人のこと。

その誠の心を持った人間を本物に育てきれる人間のことを本物というのではないのか?

つまり、本物とは分かっている人ではなく、その誠の心を育てきれる人である。

誰がやるではなく、気づけばそうなっている。

まさに日本の建国と同じである。

いつの間にか出来た国

それが我が国日本である。

なる様になる状態を作る。

そうやって皇室、または旧皇族の皆さんがその様に後ろ盾になり支援して来た。

やる人となる人が力を合わせ、この国を作る。

権力はやる人に集まり。

権威はなる人に集まる。

これが我が国日本である。

手と手を取って縁を結び、その縁が輪となり、輪が広がり和を作る。

その輪の先では争いが起きればみんなで修復し和合する。

それこそがシラス国である。