神道・神社コラム

日本の象徴とはどういうことなのか?
日本の象徴とはどういうことなのか?
日本の天皇制は非常に厄介で世界の常識では考えられません。
その国の王は、まさに支配者。
その国を統治し、その国の頂点に君臨するものです。
その立場にいながら、何の権力も持たない。
それが私たちの中心におられる天皇陛下なのです。
では、象徴とは何なのか?
天皇制とは何なのか?
その国の王であれば権力を振るい、自分が思うように国を動かすものです。
それが一度問題を起こすと、その責任は追及されます。
これが王でなく大統領であってもその責任から逃れることは出来ません。
これは会社でも同じことが言えます。
会社の社員が公に問題を起こしたなら社長が自ら謝罪をするものです。
これが通常のあるべき姿であり正義の形です。
しかし、日本の天皇制はそれとは全く違います。
天皇は【現人神】人であって神です。
多くの国は神の許しを頂き、戦場へ向かいます。
しかし、その戦に負ければ大きな代償を払わなければなりません。
それがその国の宿命です。
しかし、その責任を払うのはその国の頂点であって神ではありません。
誰も神に責任を追及する者はいません。
その神こそ【天皇】なのです。
天皇は私たちに力を与えくださる
天皇は象徴であり、意思を持ちません。
国が動くと決めたのであればそれを許すし、一部の暴君のために民が苦しむのであれば、民の声を公の声として、その公に御旗を渡します。
天皇には力はありません。
しかし、力を与えることは出来ます。
それが【御旗】なのです。
錦の御旗
日本の神様は願いを叶える事もしないし、導く事もしません。
まさに、天皇陛下のお姿を見て、神の姿と重ねられずにはいられません。
では、神であり人である現人神の天皇陛下は何を行っているのでしょうか?
それは、葦原の中国【人々が住む地上】と高天原【神々が住む天上界】を
結ぶ懸け橋となり、国民の幸せを祈って年間約20件近くの祭儀を行っているのです。
敗戦後、天皇陛下はマッカーサーとの会談で『日本国天皇はこの私であります。
戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、
日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、
いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』
そして、続けてこう言いました。
『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、
食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』
マッカーサーは直立不動で陛下の前に立ち、
『天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!
私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。
私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい』と。
テレビに映る暴君の末路を見てください。
自国民に暗殺される者、他国に亡命する者、自殺する者
これが他国の頂点に立つ者の末路です。
しかし、天皇陛下は違いました。
自分の命を犠牲にしてマッカーサーに国民を助けてくれるようお願いしたのです。
昭和天皇とマッカーサー
これが私たちの中心であり象徴である【天皇陛下】なのです。
私達は神になることは出来ません。
しかし、神の姿に重ねて学ぶことは出来るはずです。