神道・神社コラム

伊勢神宮別宮 月讀宮
10月16日、伊勢修養団の企画で伊勢神宮の神嘗祭に行ってきました。
午後からの集合でしたので、名古屋支部の皆さんと伊勢神宮別宮の月讀宮に行ってきました。
月夜見尊 (ツクヨミノミコト)
【闇に光を届け導く神】
ツクヨミは、アマテラスの弟であり、スサノオの兄でもある。
イザナキがイザナミに追われ、黄泉の国から逃げ帰ってきた後、イザナキの右目から産まれた神様がツクヨミである。
イザナキが産んだ最も尊い神として、彼らを「三貴子」と呼ぶ。アマテラスは太陽の神。
スサノオは海原の神。
そしてツクヨミは夜の神、または月の神と呼ばれている。アマテラスやスサノオの話はよく出てくるが、ツクヨミはほとんど登場しない。
支配領域は、天や海に限定されず広い範囲に及ぶという。また、大陸に派遣され大陸の神様になったという説もある。いずれにしても、謎が多い神様である。
また、ツクヨミ(月読)という「月を読む」意の名前から、暦とのゆかりも深い。
暦は月が満ち欠けする月齢と連動しており、満月から次第に月が欠けていき、新月になるまでの時間の流れを基準とする。神社で一日と十五日に参拝するのは、この月の満ち欠けに関係していた。
一か月のうち、十五日を境に振り出しに戻り「気」が高まることから、一日に祓い、そして十五日にまた祓う。
これが参拝時期の所以である。
アマテラスが「陽」ならば、ツクヨミは「陰」。
夜の闇に光を届け、海の航海をそっと見守り、さりげなく人々を導くありがたい存在である。
決して主役ではないが、なくてはならない存在。人にも様々な役割がある。表舞台に立つ人、実行する人、補助する人など。
一見、言葉を発する者だけが人の目を引くが、それは、誰かがその言葉を差し控えたからこそ、言葉を発する者の存在が際立つのである。
「成るように成る」という言葉がある。
とやかく物申したり、あれこれ心配しなくとも、必然の成り行きのままで良いように出来ている。
この世は「成る」で出来ているのだ。
しかし、どうしても事が成らない時に「する」人が出てくる。
人はそれを「英雄」と呼ぶ。
私たちは「する」ことに目を向けがちだが、日常における多くの場合は「成る」ことによって支えられている。
特別な能力がある人は、その能力を活かして様々な困難を切り拓いていく。その一方で、足元が見えにくくなってしまう。
その見えない足元の細かな部分を、他の誰かが支えている。
ツクヨミは、そんな足元を照らす神様ではないだろうか。
私たちの周りにも、陰で支えてくれている人がいる。そこに眼を向けて評価できる人にこそ、徳は備わる。
あなたの足元を照らしてくれている人も、きっといるはずだ。