今の神道は言挙げが必要

神道には教祖も経典も戒律も何もありません。ただただ、自然と向き合い、何を感じるか?

これが神道です。

従って、私がここで言葉を用いて皆様に語れば語るほど、それは神道の捉え方からかけ離れて行く事になります。

ここが神道の難しいところ。

先日、ある宮司さんがこんな話をしていました。

神仏習合までは仏が神に変わり、法を説いていたが、神仏分離以降、神道の法を説くものはいなくなった。

これは、西洋を意識し、富国強兵を打ち出した頃から神仏分離が行われ、神道を国家神道と定め、一神教的思想へと動き出した頃からおかしくなります。

歴史を読み解けばよく分かります。

異なるものと仲良くするときの世は平和で、異なるものを批判するときは世は乱れるのです。

こうやって神仏分離以降、神に成り代わり語る者がいなくなったのです。

ある神主が、今は神道も多少の言葉を持つ必要があると言われました。

ただ、その言葉は人を説得させたり納得させる様な類のものではなく、

感じさせる為のきっかけに過ぎません。

感謝や尊敬、運や神様など、頭で考えるものではなく、感じ取る事です。

私がここで感謝を解いたとしても、それを出来てこそ、自分のものになるのです。

そうやって、自ら答えを導くもの、それが神道なのではないのでしょうか?

最近良く、こんな事を言われます。

何処でそんなに神道を勉強したのか?

それを聞かれると困ります。

勉強と言うより、その場所に行ったり、その人に会ったり

その中で感じたことをただ書いているだけだからです。

おそらくここで読んで頂いている皆さんも私が書いた文章を読んで感じているものと信じております。

そして、自ら答えを導いているものと

人は無意識の中で人生を作っています。

良き無意識の習慣が人生を豊かにします。

感じ動く、それが無意識です。