神道・神社コラム

人はその人の言葉よりも姿勢を見ている
人はその人の言葉よりも姿勢を見ている
人の生き様はその人の表情に現れるものです。
自分の意見はきちんと伝えなければ人には伝わりません。
確かに議論の場ではそうかもしれません。
但し、日常の場に置き換えてみるとどうでしょう?
電車で隣に座ってた若者がこんな会話をしていました。
A君
『友達の誕生日に有休を出すのは気が引けて』
B君
『良いんじゃない』
A君
『でも、倫理上おかしいよなぁ』
B君
『それこそ日常の行いだよ』
A君
『そうだよな』
この会話からも読み取れる様に、その人の言葉よりも、その人の姿勢を人は見ているのです。
己に打ち勝とうとする人と打ち負かそうとする人
姿勢を正すとは己に打ち勝つと言うことです。
己に打ち勝つことが出来るから力をを蓄えることが出来るのです。
その力を持たないものが人を論破し打ち負かそうとします。
しかし、本当に力がある人は何も言わなくても人は認めるものです。
そして、その認められた環境の中で力がない人に、その力を分け与え、人の話に耳を傾け、その人の苦しみを背負うことが出来るのです。
解って貰うまで言葉にして訴える。
その前に感じてもらえる様な自分づくりを行うことが重要です。
他人を打ち負かすのではなく、己に打ち勝つ
それが真の力だと言えます。
何を伝えるかよりもどの様な姿勢で過ごすか
調和とは何を伝えるかよりも、どの様な姿勢で日々を過しているかが重要です。
親が子供を躾する時も同じ事が言えます。
言葉で教えるのではなく、親の姿勢を見て子供は学び取るものです。
『もっと優しくしなさい‼︎』
言葉を取るのか?
その姿勢を取るのか?
誰かと調和を図るのではなく、自然と調和を図れていれば、自ずと理解は深まるのではないのでしょうか?
その自然との調和が神との調和に繋がるのです。