神道・神社コラム

中国では生まれ日本で体系化した儒教
日本人らしさは勝手に出来ていると思われがちだが、戦前までは具体的にその教育が促されていた。
戦前までは修身教育。
明治までは寺小屋で武士が行なっていた。
その教育の中心にあったのが、授業である。
儒教は中国で生まれたが、その生まれた背景がある。
それは、儒教で語っている道徳心とは全く真逆の君主の存在があった。
人というものは不思議なもので、右翼が伸びれば左翼も伸びる。
それがバランスである。
中国で儒教が生まれたのは、せざるを得なかったからである。
つまり、穢れに対抗して作りたのが儒教である。
一方日本では、君主自ら道徳心を体系化し、模範となっていた。
しかし、それを説明出来るものがいない。
また、説明する学問がない。
そんな時に儒教という素晴らしい学問が中国にあった。
そうやって、伝える手段として儒教を見習い、日本に導入した。
その中心の概念が【仁義礼智信】
これは徳目の序列を表現している。
しかし、日本は儒教をそのまま導入していない。
ここにも日本風という日本にあった原則が存在した。
中国では礼よりも義を重んじる。
その結果、尊敬や感謝より、自分が正しいという義侠心を上位に置いた。
その事で、親や兄弟、子供や師匠まで排除した。
その結果、国王をも倒し易姓革命が繰り返される。
また、人は騙すもの疑ってかかれと言う性悪説の概念がある。
だから、信が一番最後にある。
では、我が国日本はどうなのか?
動画で案内いたします。