神道・神社コラム

一を見て全てを判断する
【一を見て全てを判断する人】
人は一つの過ちを見て、その組織全体を判断することがある。
むしろそんな人が多い。低次元なのかもしれない。
しかし、それは裏を返すと自分も同じように扱われていることを意味する。
もしあなたが、一を見て全てを判断するその人だったら、ビジネスはあまり上手く行かない。
ここに隠された問題が潜んでいる。
あなたが嫌だと思ったその人が、もしあなたの社員だったら。
これはあり得ないことではない。
もしそうだったら、あなたの会社はダメな会社となる。評価に値しない。
本当に入社したばかりの社員が問題を起こしたからと言って、その会社が積み上げて来たもの全てがダメなんだろうか?
だから、上手くいかないのである。
なぜなら、問題に意識を奪われ、問題をなくすことこそが会社を良くすると信じているからである。
本当に問題が無くなれば会社は良くなるのだろうか?
少し考えてもらいたい。
あなたがたまたま起こした問題を上司が見つけ、その問題が会社の印象を悪くすると怒鳴りつける。
さぁ、あなたはどんな気分になるだろうか?
また、そんな会社は上手く行くだろうか?
私達は夢や鬼謀、目標や志がある。
それら全ては【善】で出来ている。
その善を磨いた者のみが夢や希望、目標や志を実現できる。
その善を育てることこそが成功の秘訣なのだ。
これを【清め】という
悪いところに意識が向く人は【怒る・切る・逃げる・黙る・無視する】こんな講堂をとりがちである。
こんな人が本当に成功するだろうか?
また、幸せになるだろうか?
一つの問題、一つの出来事でこれまで受けた多くの善を無にする。
しかし、考えて欲しい。
その問題を起こした人を、自分の隣人だと思い、育てる事が出来たら…
また、その人が見事に育ち、あなたの良き高検者となったら…
そうやって人や社会を育てること、それが愛である。
私達の子供や両親、兄弟や親戚。
その子供や孫。
色んなところで迷惑をかけ、色んな人が関わり、育てられている。
もしかすると、そのお世話になっているその人は、あなたが問題にしているその人の親戚かもしれない。
世の為、人の為に人事を尽くす。
そこに愛があれば出来るはずである。
愛とは相手の立場に立って考える事。
それが愛である。私を見習ってほしい。
私には愛があるからすべて上手くいく。
とてもシンプルで分かりやすい幸せの法則である。
悪ではない、ただ過ちを起こしているだけ。
この過ちを取り除く事、これが【祓い】
そして、その人の善を育てる事、これが【清め】である。
悪に意識を奪われ、あなた自身が穢れる。
そんなことになってませんか?