神道・神社コラム

エジプトで感じたこと
古代文明エジプトは紀元前30000年には既に中央政権が形成されピラミッド建設など高度な技術を持ち合わせていた。
神武天皇が即位して2679年なので、それ以前ということになる。
その後、紀元前525年に滅びる。
その後、様々な支配を受け現在に至る。
ナイル川の豊かな土地に恵まれ、農家生産で繁栄を支えた。
今回、エジプトに着いて、いろんなところに行って来たが、勿体ないとこが沢山あった。
博物館に行って来たが、大きな敷地に無造作に置かれた遺産。
博物館というのに外の明かりが燦々と照らし、梱包されたものもその辺に置いてある。
スタンカーメンですら、同じような扱い。
また、駐車場や関連施設も全くなく、観光客もほとんどいない。
スフィンクスのある目の前の街ですら、ケンタッキーがあるだけ。
飲食店はほとんどない。
何を食べるか困るくらい。
これは街上同様である。
また、声をかけてくる言葉は『ニーハオ』
日本人は全くいない。
テロがあってから日本の旅行会社は徹底的に自粛しているようだ。
中国人すらいない。
お土産屋さんもほとんどなく、街が停滞しているのが見て取れる。
そもそも、そこにあるもの
それも昔からあったもの。
エジプトの人にとって、山を見るようなものかもしれない。
それが近代になって急に観光地として栄え、思考や文化、民度が追いついていないのかもしれない。
おそらく世界中で行われているエジプト展の方が盛り上がっている気がする。
この旅行で感じたことは、一度滅びるとその末路は悲惨で惨めなものになるということ。
これはオスマン帝国であったトルコも同様悲惨である。
一人一人の民度を上げなければ国は発展しない。現地を見れば明らかである。
しかし、繁栄だけを求めて、支配する国と支配される国の構図を作っても行けない。
衰退だけが民度ではない、繁栄する国の民度も同時に問われる。
それを考えるとつくづく我々日本人の民度の高さを感じさせられる。
この民度を作ることは子供の躾と等しい。
まだまだ人類も発展途上の中にいる。