お能鑑賞

昨日は井上先生に招かれ、東京支部の皆さんとお能を観に行ってきました。

お能は神事に限りなく近い芸能。

色んなものをそぎ落とし、必要なところだけ残した芸術。

他のエンターテーメントと比べれば退屈で何をやっているのか分からない。

また、何を言っているのかも分からない。

【血がたぎる】と言う言葉があるように私達の血液には激しさに反応する遺伝子が存在する。

しかし、日本の伝統文化は静寂を良しとしている。

歓喜が繁栄なら、静寂は平和。

平和とは心穏やかな状態をいう。

歓喜することだけに心奪われれば、心がざわつき、平和が脅かされる。

人が人として、己を制し、静寂を保つ。

これこそが日本人であり、日本の道である。

正座をしてびくりともしない歌い手

同じ姿勢で何時間も微動だにしない演者。

その場から逃げ出したくなる様な場にあえて身を投じている人たち。

どんなに素晴らしいエンターテーメントもこれには敵わない。

また、この様にも考えてみた。

お能を芸能と見ず、芸術と見る。

つまり、一コマ一コマを絵画として見てみた。

絵画にはその絵の中に過去と未来、そして、現在が描かれている。

その何も動かない絵画の中から、読み解く事が大切である。

その絵画と比較すれば、お能は動くし、言葉も発するし、音楽もある。

如何に上手く伝えるではなく、演じる側の意図や導きをそぎ落とし、見た人が読み解く。

答えはその人の中にある。

これが日本人が大切にして来た言挙げせずではないのだろうか?

分からせるのではなく、分かる。

売るのではなく売れる。

愛させるのではなく愛される。

この謙虚な心が日本人の中に宿っている。

まだまだ、お能を理解するには及ばないが、少しでも近づける様に静寂を理解したいと思う。