【正しいことではなくその心を広める】

「神道」とは与えられるものでも、神に願い、すがるものでもありません。
日本の初代天皇である神武天皇は御即位の際に【自らが正しい道を行い、その心を広め、国を守りたい】と、そう仰ったそうです。

言うなればそれは、【正しい道を教えるのではなく、自らが正しいと思う道を歩み、その心を広める】ということではないかと思います。

それはつまり、多少飛躍的かもしれませんが【神から正しい生き方の指示を与えていただくのを期待するのではなく、自ら学び取り、より善く生きようとする姿そのもの】だと言えるのではないでしょうか。

そして、そういう生き方を、神道では【道徳】と呼びます。

【道徳】こそ、神道の在り方

先ほども言ったように、神道でいう【神】とは、与えていただく対象でも、また助けていただく対象でもありません。

じゃあ、神道の【神】とは何なのか。何のために存在しているのか。

神道でいう【神】とは、言うなれば【自然そのもの】であり、すべては【感謝するため】に存在します。

神道では【神はすでに多くのものを我々に与えてくださっている】と考えます。

いま、この瞬間に、私たちがこうして生きていられること。

それ自体がもう、神が多くのものを私たちに与えてくださっているという証拠だということです。

だからこそ、神にはただ素朴に【感謝】するだけ。

多くのものを与えていただいていることに常に感謝しつつ、そんな神の姿(自然界)から自ら学び取り、世のため人のため、人としてより善く生きようと努めます。

そういう【道徳的】な生き方こそ、神道の真髄だと言えます。

人は生きる為に自然界の命を頂いて私達の命は繋がっています。

しかし、人にとって都合の悪い木の枝を落としたり、山を削って道を作ったり、人間の都合で自然を作り替えようとします。

その罪が穢れとなって私達の身体についているのです。

その穢れを落とすのが禊やお祓いです。

つまり、その罪を認め神に感謝できる心が備わった時、神社で手を合わせることが出来るのです。

そして、命を繋いで頂いた自然界の命へ感謝する。

その姿こそが【神道】と言えます。

さて、皆様はどの様に解釈しますか?

是非コメント欄にご意見をお聞かせ下さい。