神道・神社コラム

【あなたが大切にしているものは?】
人・物・金
一番大切なものは?
多くの人が人だと答える。
では聞こう。
あなたは心を学ぶために【いつ・どこで・いくら掛けて学んでいるだろうか?】
ほとんどの人が全くと言うほど学んでいない。
しかし、物を得るためや、お金を稼ぐための資格や勉強は山程やっている。
本当に心が大切なのだろうか?
本当はお金が欲しいのではないのだろうか?
この様に言ってることとやってることが裏腹だから、心のバランスが壊れて、人は迷い、苦しみ、精神が破綻する。
それは何故だろう?
病気になったから?
悪い事が起きたから?
誰かに嫌なことを言われたから?
それは違う。
心を学んでいないからである。
知ってるけど、思っていない。
思ってるけどやっていない。
やってるけど出来ていない。
知ってる分かってるは【頭】で考えているだけ。
思ってるは【心】で思っているだけ。
心で思い続ければ、願いに変わり、願い続ければ、祈りに変わる。
祈り続ければ、その祈りは心の底に届く。
心の底には何がある?
それが【魂】である。
つまり、心を磨くとは魂を磨くことに繋がる。
その祈りが決意と変わる。
つまり、祈りとはご利益を頂くことではなく、決意を告げることである。
心をいくら学んでも、実践しなければ、その学んだことは頭に留まり、思っているだけでは心に留まる。
だから、思っているだけで、やっていない。
だから迷うのだ。
では、その心を学ぶにはどうしたら良いのか?
その心を学ぶには有難い言葉を残した4人の人の聖人と呼ばれる人がいる。
それは誰だろう?
それがブッタやイエス、孔子、ソクラテスである。
これを四大聖人と呼ぶ。
では、ブッタやイエス、孔子は何をした?
ブッタは仏教は作っていない。
イエスはキリスト教を作っていない。
孔子は儒教を作っていない。
のちの弟子たちが人を束ねる為に思い思いに作っている。
では、その有難い言葉を残した彼らは何をやったのか?
それは自然の真理を説いただけである。
つまり、心を学ぶと言う事は自然の真理を学ぶ事である。
その自然の真理のことを日本語で【神道】と呼ぶ。
神道を学ぶということは心を学ぶということである。